「なあ、小さいころ怖かったものってある?」


なぜこんな時にそんな話をするのか。スイスは心の中で憤慨した。




知らない暗い道を、二人であてもなく歩いている。
上司からの緊急の電話に対応していると、最終の電車がなくなった。世界会議が行われた施設のある町には、宿泊施設も民家もない。スイスが途方に暮れていると、後ろで同じように終電を逃したらしいスペインが言った。


「歩こうや」







『道はわかるのか』
『いや、わからん』
『あてはあるのか』
『残念ながら全くないわー』


施設を出た時から薄暗くなり始めた空は、歩いているうちにだんだん深みを増し、ついには真っ暗になった。
この国の冬は寒い。野宿などしようものなら凍死は確実である。お互いに口には全く出さないが、夜通し歩くしかなさそうだ、ということはわかっていた。


道はどこまでも暗く長く、それはスイスを不安にさせた。
なぜこんな時にスペインはそんな話をするのか。今すぐにでも掴みかかって怒鳴りつけてやりたかづた。しかし怒りをさらけ出しては怖がっていると思われてしまう。スイスは仕方なく、怒りが声に表れないよう細心の注意を払いながら、さりげない抗議の言葉を口にした。


「急に何だ」
「ええやん教えてや」


スペインの声に、抑揚はない。
スイスにはスペインが何を考えているのか全くわからなかった。


「……死ぬことだ」


へー、そうなん。スペインは短く返してきたが、その言葉にだけはほんの少し興味がありそうな色があった。


「お前みたいなやつでも子供のころ死ぬのが怖かったなんてことあるねんなあ、あるねんなあ、あるねんなあ」


その言葉はまるで、この道の先の暗闇に向けて発せられているような気がして、スイスはほんの少し恐怖を感じた。


「お前は何だ」


スイスはそれを振り払うように訪ね返した。だから初めは特に返事に興味はなかった。


「俺はなあ、鳥の巣箱や」


まるで予想していなかった答えに、スイスは少し驚いた。鳥の巣箱?


「鳥がな、昔よく庭に遊びに来ててん」


スペインは淡々と話し始めた。その言葉はスイスに向けられたものではなく、やはりこの先の暗闇の、遠くへ遠くへ投げられているような気がした。


「俺な、毎日その鳥が来るの楽しみにしててん。楽しみにしながら、エサ、入れててん。」


そう言ってスペインは一度言葉を切った。スイスにはスペインが、子供の頃の出来事を丁寧に思い出して、その一つ一つに思いを寄せながら話しているように見えた。
ふと、スペインの醸し出す空気が変わった。軍人であるスイスは昔から、人の持つ空気が変わることに敏感だった。ぞっとするほど冷たくなったのだ。その空気はスイスに、かつての残虐な彼を彷彿とさせた。
スイスは思わず身構えたが、スペインは変わらず話し続ける。


「ある日エサ入れようとして、いつものように片手にいっぱいエサ握って庭に出てん。でもその日巣箱見たらな、鳥が入る小さい穴から、黒い液が垂れとった。たくさんたくさん溢れてきよった」






道はどこまでも暗く細く、このまま永遠に続くかのように感じられた。
歩きながらスイスは、黒い液がどろりと垂れ出る鳥の巣箱を見つける、小さなスペインを想像した。液状のそれはこの道の暗闇のように暗く、巣箱を手にとったスペインの手のひらにどろりと伝う。スペインはそれが妙に温かいことを知る。彼が払い落とそうとすると、それはねばねばと指と指の間を伸びスペインの手をなかなか離れない。
スイスはそれを想像すると、なんだかすごくがっかりした。


「朝になるな」


スイスが顔を上げると、いつの間にか地平線と暗闇の間から、細く眩しく光が見えてきていた。
夜が明けていくことに、スイスはとても安堵した。子供のころ以来のことだった。


「……昔の話や」


そう言ってスペインは笑った。


「ロマーノには、内緒やで」


そうだったのか、まさかあの陽気なスペインが。
スイスは言葉で表しがたい複雑な気持ちのまま、明け方の道を歩き続けた。







夜が怖い子さみしい子



(性的虐待をされている子供は、木の穴から液が垂れている絵を描くことがあるそうです)