「まったく…メールの返事が来ないと思ったら……」
「……ごべ、ん…なざ…」
特効薬は、やっぱ愛でしょう
「風邪引いたんなら、誰でも呼べばいいでしょう!! こんなに熱出るまで放置して…」
シモンはそう言って目の前でベッドに横たわる相方を叱りつけると、水で冷やしたタオルを力の限りにねじり絞った。
「だっでぇ……自分でも゛…ごん、な゛に゛悪化、するどはぁ……」
イェレナはガラガラ声で息を切らせながらそう答える。
「だからって、何で誰も呼ばないの?
ジバルだってペルディッカスだってイゾリアだって、誰だって呼べば看病くらいしに来てくれるだろうに……」
「だっで…み゛んな゛…忙じいし、大変じゃん……」
「それ以上にお前が大変になってんじゃん!!」
「うぅ……」
「まぁいいや…とにかくそのガラガラ声なんとかしなきゃ……ちょっと待ってなさい!」
「あ゛い……」
この日、シモンは何日もメールを返さない相方を心配してやって来た。
(まぁ、急に仕事が休みになったので、暇になってしまったから、というのもあるが…)
呼び鈴を鳴らしてしばらくして出てきたのは、もうすぐ夏だというのに軽く震えながらセーターを着込み、
そのくせダラダラと汗を掻き顔を真っ赤に火照らせ、息をヒュウヒュウ言わせた奴だった。
話を聞いてみると、
4日前、用があって家を留守にするお隣の奥さんに頼まれて、風邪をひいてしまった奥さんの子供を看病しに行ったらしい。
おそらく、その子供から風邪を貰って来てしまったのだろう。
その日の夜から少しずつ風邪の症状が出始め、だんだんと悪化してしまい、
病院にも行けぬまま、3日程経ってしまったらしい。
(わかるけどさ…確かにみんな、経済がどうとか、犯罪率がどうとか、国際なんたらがどうとか、確かに忙しいよ!
けどだからって、イェレナが風邪引いたって聞いて、心配しないような奴、この辺にはいないのに……)
そんな事を考えながら、ラキヤを水で薄め、タオルを用意し、足早にイェレナの元へと戻る。
「ラキヤ湿布用意して来たから首出せ〜」
「え゛〜〜……」
「『えー』言うな!!」
「だっで今やっだら絶対鼻痛いよぉ…」
「文句言わないっ」
そう言うとシモンは、薄めたラキヤにハンカチを浸してキツく絞った。
そしてそれをイェレナの首へそっと乗せると、更にその上にタオルを乗せ、マフラーをぐるぐると巻きつけた。
「シモ゛ンざんっ 暑いです!! 首凄く暑いです!! 汗ダラダラです!!
それがらやっば鼻痛いです、気化しだア゛ルコールがつーんと来でます!!!!」
「首温まったなら良かったじゃん、すぐ治るよ、鼻は根性で我慢!!」
「こんじょ…って……」
「風邪放置した自分が悪い!!」
「ううう〜……」
(イェレナは、他人の心配はすぐするくせに、他人には自分の心配をさせようとしないんだ……
みんなの迷惑になっちゃいけないとか、みんなの邪魔しちゃいけないとか……たぶん、責任とか、感じてるんだろうな……)
この地域を民族紛争が覆ったのはつい最近の事だ。
独立をめぐる他民族同士の争いで、いくつもの血が流れた。
つい先日まで一緒に住んでいた隣人や家族が「民族」という枠で引き裂かれ、シモンやイェレナも、
それまで一緒に暮らしていたジバルやイゾリアと争い戦った。
紛争が終結したのは、セルビアの首都がNATOに空爆された直後だ。
イェレナの左胸には、その時の傷跡が今も残っている。
その頃のイェレナは「はいはい、どうせ全部あたしが悪いんでしょ」みたいな感じにやさぐれていて、見ていて痛々しかった。
そこから十数年経って、みんなとの仲も修復しつつあるし、今ではまたみんなでお酒を楽しむくらいにはなった。
(みんなも、お互いに、もう気にしっこナシって思ってるし…
だから、さすがにもう、イェレナも気にしてないだろうって思ってたんだけど…。)
「シモン゛〜〜…」
「はいはい、何ですか?」
「暑い…マフラー、取っで……」
「だ〜め!!」
「じゃあ…アイズグリーム゛…食べだい……」
「それもだめっ!!」
「冷だいモノ欲じい〜〜!」
「余計悪くなるからだめなの!! 俺うがい薬作ってくるから、おとなしく寝ててね?
勝手にマフラー取ったりしたら駄目だからね!」
そう言い残して、シモンはキッチンへと向かった。
うがい薬とは言っても、用は薬草のお茶である。シモンは棚から薬草や道具を取り出し、テキパキと準備を進める。
紛争が終わり皆が独立した後、シモンも一足遅れてセルビアからの独立を果たしこの家を出た。
それから何年も経つというのに、未だにキッチンの勝手を何一つとして忘れていない自分に少し驚く。
(何がどこに置いてあるのか、全く位置が変わってない…たぶん、あの頃のまま、変えるつもり無いんだろうな…。)
ジバル、イゾリア、ペルディッカス、ヤコブにマルコにシモンにイェレナ、7人もの国が住んでいた家のキッチンは、さすがに広い。
そこに立って薬草を煎じていると、大きな虚無感に包まれる。
かつてはここで7人分の食事を作っていたイェレナが、
今はたった1人分の食事を作るために、この無駄に広いキッチンに毎日立っているのだ。
(キッチンだけじゃない…この無駄にデカい家で、馬鹿みたいに多い家具に囲まれて、変に広い仕事部屋で仕事して、
使われなくなった小さい寝室をいくつも余らせて、たった一人で住んでいるんだ……。)
「イェレナ〜、うがい薬作ったから、おいで〜」
「は〜い゛…マフラー取ってい゛い゛〜?」
「いいよ、おいで」
のそのそとやって来たイェレナは、顔は真っ赤で目は半開き、口を中途半端に開け、少し鼻の穴をふくらませた、
何とも間抜けな顔をしていた。
あまりの可笑しさに、シモンが思わず吹き出す。
「ちょっど〜!! 病人の顔見てぞれはなぐな〜い!?」
「ごめっ…イェレナ…鼻、痛いのね…今ハーブ湯沸かすから、うがいして待ってて」
「シモンの意地悪……」
イェレナはそう言うと、ガラガラと音を立ててうがいを始めた。
その横で、シモンはコップ一杯分のお湯を沸かす。
(こうやってキッチンに並ぶの、いつぶりだろう…
独立前に料理教わってた頃が最後だろうから…もう何年も前なんだなあ…)
「何か懐かしいね、イェレナ。……イェレナ?」
隣に並んでいる相方を見て、シモンは驚いた。
イェレナは、うがいをしながらボロボロと涙を零していた。
口の中の水を吐き出すと、流れる涙は量を増した。
「ごめ…何か、久しぶりにキッチン並んだら、懐かしくなっちゃって……。
最近は、『咳が出ても独り』って、感じだったから、看病して貰えるの、嬉しくて……」
イェレナは嗚咽を交えながらそう言い、その場にうずくまった。
出来るだけ声を抑え静かに泣く相方を、シモンはそっと抱き締めようとしたが、イェレナはそれを拒むようにすっくと立ち上がった。
「ごめん、格好悪いとこ見せちゃった。顔洗ってくるね!」
相方の軋んだ笑顔と軋んだ声。
それを見たシモンは、何だかむしゃくしゃとした気持ちがこみ上げて来て、居ても立ってもいられなかった。
気がつくと、イェレナの頬を平手打ちしていた。
「…なっ……おま!! か弱い女の子を殴るとは何事かね!?」
その言葉を聞いて、もう一発、今度は逆の頬に平手打ちしていた。
「に…二度もぶったね……!!」
イェレナがそう言ってボケてみせたが、シモンはそんなものは聞いていなかった。
下を向いて手は拳を握り、少し震えているようだった。
「何が『か弱い女の子』だよ……わかってんなら強がるなよ!!」
「は!?」
「無理に笑いやがって!!無理にボケやがって!! お前のそういう所大っ嫌いだ!!この野郎!!イェレナのバカ野郎!!
ボケナス!!アホナス!!オタンコナス!!」
「痛い痛い痛い!!」
シモンは喚きながらイェレナをバシバシとたたき続けた。
「あの、シモンさん!? あたし、病人なんですけど!?」
「そうだよ!病人だよ! 病人なんだから甘えたり頼ったりすればいいのに、
またそうやって『どうせあたしは独りですよ』みたに孤独ぶって強がって痛々しいんだよー!!」
「ちょ、何この言われよう…!!」
「わかるよ…皆に甘えにくいのは……。…でも、俺にくらい甘えてくれたって良いじゃん…」
「……」
「淋しいじゃん…俺とイェレナの仲は、そんなモンだったの…?」
シモンはたたく手を止め、イェレナにもたれかかり抱き締めた。
イェレナの肩が、シモンの涙で濡れる。
「うん…ごめんね、シモン……」
「……許す」
外では風が木漏れ日をちらつかせ、窓から入る光も柔らかく部屋を包み込む。
「……シモン」
「…何?」
「重い!暑い! ごめん離れて!」
「ちょっ!今良い雰囲気だったのに!!」
「だって暑いもんは暑い…」
「はぁ…もういいよ……。はい、ハーブ湯沸いたから、蒸気吸引しなさい」
「う〜…アチィ……」
「仕方ないでしょ!蒸気だもの…」
部屋いっぱいに漂うハーブの香りに、優しい雰囲気を感じる。
「ねぇ、シモン?」
「……何?」
「甘えて、いいの?」
「…ふふっ、どうぞ」
「じゃあね!!じゃあね!! アイス食べたい!!」
「だからそれは駄目だってば!!」
それから3日後、イェレナの風邪は完治した。
完治するまでの3日間、イェレナはワガママ放題だったという。
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とあるサイトさんで、セルビアの風邪の民間療法なる記事を見つけて、面白くなって書きました
何か凄く説明的な文章になっちゃいましたね〜 笑
途中に出てきた「ラキヤ」というのは、バルカン地方の地酒的なものです
この辺では、落ち込んだ時にはラキヤ、病気になった時にもラキヤ、どんな時でもラキヤ!!らしいです 笑